いつもは観光名所からちょっと目線を変えて、シブ~い街や場所を紹介しているこのブログ「金沢のいいとこ Kimidori-Style」なんですが、今回は名所中の名所をチラッとご紹介です。
その昔、金沢にはお城があったんですよ~ 戦国時代から江戸時代に加賀藩主の前田家が居城としたお城です。そんな金沢城のあった公園に潜入してみました!!
ちょっと気分は忍者です(笑)
遠くから見えるこの公園はお城がありそうな雰囲気が漂っていますが、実は明治6年に当時の陸軍省の管轄となった際、多くの建物は存城処分で撤去されてしまったんです。さらに、残っていた建屋も明治14年に大火災があり三十間長屋と石川門を残して焼失してしまったんだそうです。
明治時代の後半は陸軍があって、第2次世界大戦が終わるまで拠点としていた場所です。第2次世界大戦が終わると、学校が新設されお城の跡地のキャンパスとして新たな役割を担うようになります。なんと!これが金沢大学の丸の内キャンパスなんですよ!
平成に入り、金沢城址公園として復元整備事業が始まり櫓や御堀が復活しました。
まだ、本丸や二の丸といったお城のメイン処の復元こそないものの、行ってみるとそこはもうすっかりお城の雰囲気です。
ちなみに、天守は1602年に焼失してしまっていて、建造物としては石川門、三十間長屋、鶴丸倉庫などが当時の姿を残しています。
この石川門が雑誌や観光ガイドに登場するシンボルになっています。平成に菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓、河北門など復元され、2018年には鼠多門の工事が始まり、2020年には復元されることになります。少しずつお城の完成に向かっているようで面白いです。
ビックリ!!そこは石垣パラダイス!!
地元の人もあまり知らないかも。実は金沢城の特徴はなんといっても、石垣の種類の多さ!様々な石垣をいたるところで見ることができます。石垣づくりの秘伝書まである金沢城は「石垣の博物館」とまで言われています。全国でも珍しい石垣パラダイスです!
それもそのはず、加賀藩初代藩主、前田利家公が諸大名で初めて穴太衆と呼ばれる石垣の全国屈指のプロを加賀藩お抱えの石垣職人としたのでした。
他のお城では見ることができない数々の石垣
製法や積み方など様々な石垣がみられる金沢城の石垣をちょっとご紹介~
「東の丸の東面」には高さなんと21メートル!
自然の意思を積み上げた石垣で野面積みと呼ばれています。近くで見るともっと高くまであるように感じられます。金沢城を支える大きな石垣は圧巻です。
武器庫だった三十間長屋の石垣はお洒落!
当時の建造物として残っている三十間長屋は武器庫として使われていました。こちらには「金場取り残し積み」という技法の石垣があります。一見切り石がしっかり積まれているように見えますが、それぞれの石の淵だけが加工されているちょっと変わった石垣です。石のデザイン性に加え、配色も考えられたお洒落な作りです。
この他にも、
・お城の正面には、藩の力を誇示する「鏡石」が設置されている大手門の石垣
・外部からの侵入者対策を施した「粗加工石積み」と呼ばれる石垣
・お城の庭園として造られた玉泉院には「色紙短冊積み」と呼ばれる芸術的な石垣
・当時の人たちの祈りが込められた「亀甲石」という6角形の石が使われた石垣
・積まれた石をよく見ると、刻印が入っている石がたくさん使われている石垣
などなど、書ききれないくらいたくさんの石垣に囲まれています。
刻印のされた石垣は200種類を超える種類の刻印が確認されているそうです。私ちゃみどりは思うんですよ、きっとどれかの石を外すとその奥には「お宝」があるんじゃないかって(笑)
ぜひ皆さん、金沢にお越しの際には金沢城址公園にお立ち寄りください。そしてお立ち寄りの際には石垣見学がおすすめです。私ちゃみどりも実際に行くまではあまり気にしていなかったんですけど、石垣にこんなに種類があって、いろんな配慮がや工夫がされていることを知ると興味がわいてきましたよ~!
近々また遊びに行って、じっくり石垣を見るのだー!
・・・それにしても、金沢城って本丸はどんなお城だったのかなぁ~